2012年2月22日水曜日

資料 町山智浩



イノシシ霊商売人(江原啓之)と在日、という語句でグーグル検索をしたら、町山智浩のウィキが出てきた。
町山智浩は、週刊現代だったか週刊文春に(どちらにも?)コラムを載せていたときから面白い人物だなと思っていた。ウィキで見ると、「熱烈な町山ファン」が書き連ねたと思われる詳しいエピソードがあったので、資料として引用しておく。こうしたウィキの文章も、突然消滅したり改変されてしまうことがあるからである。


 以下はウィキより引用

町山智浩

思春期まで [編集]
在日韓国人1世の父親と、日本人の母親との間に生まれる。韓国人の父親については、死の直前に父親の病床を訪ねて来歴を聞いた、雑誌『hon-nin』連載の自伝「Who's your daddy?」に詳しい。同書によれば町山が中学生の頃に両親は離婚し、彼は母の籍(町山家)に入り、日本に帰化した。本人によると、父親はまったく家に帰らず、一緒に過ごした記憶はほとんどなく、韓国に関わることを一切教わらなかった。しかし、韓国名であったため、学校では教師から「朝鮮人の子供」として差別され、家では母親からも「チョーセンジンの子め!」と詰られて折檻されるなど、理不尽な経験をしたとしている。
小学4年生のときに、映画「ゴジラ対ヘドラ」を見て、映画を真剣に見るようになった。町山によると、アバンギャルドな編集や政治的なメッセージやストーリーと全く関係のないシーンが多く含まれたこの作品を当時は全く理解できなかったが、映画はテレビと違ってただストーリーを追うだけではないことに気付いたという[1]
早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部卒。在学中は早稲田大学漫画研究会に在籍。同期に安倍夜郎がいた。最初のアルバイトは高校卒業直前から大学1年まで早稲田大学正門前のセブンイレブン深夜担当。思春期は映画マニア、SFマニアとして過ごす。
出版との関わり [編集]
学生時代からバイトで出入りしていた編集プロダクション「スタジオ・ハード」(漫研の先輩の高橋信之が創設)でケイブンシャの大百科シリーズ(『怪獣ものしり大百科』)ほか多くのアニメ書籍を執筆。そこで紹介された宝島社(旧JICC出版局)において学生バイト兼編集デスクとして任された別冊宝島「ゴジラ宣言」が早々に増刷、その評価により入社が決定する。
学生バイト時代は、SF劇場アニメ『レンズマン』などの科学考証にも参加。また、「このビデオを見ろ!」などのムックも編集している。
入社後、1980年代中期パンク雑誌だった頃の『宝島』本誌を担当した。担当はみうらじゅん、デーモン小暮、坂東齢人、根本敬、三留まゆみなど。
1989年に『別冊宝島』に異動[2]198912月、浅羽通明らを起用した『おたくの本』を企画編集。同書がベストセラーになったことや、同年の7月に宮崎勤事件が起きていたことなどが相まって「おたく」という言葉が一般に認知される。
『別冊宝島』ではほかに、『裸の自衛隊!』『いまどきの神サマ』などのベストセラーを企画編集。『裸の自衛隊!』では習志野第一空挺団と元フランス外人部隊脱走兵(毛利元貞)が指導することが売りの傭兵訓練に、大月隆寛とともに自ら参加している。
また、後の『映画秘宝』の流れにつながる『映画宝島』シリーズを企画、自ら取材執筆している。1991年、『映画宝島・異人たちのハリウッド』はハリウッドスターをエスニシティという視点から読み解いた研究書で、自ら父方の姓(柳)を名乗った。
その後、月刊誌『宝島30』編集部で、当時は政府もマスコミも認めていなかった[要出典]朝鮮総連のスパイ行為や北朝鮮の日本人拉致問題をいちはやく追及し、左翼文化人や岩波書店を名指しで攻撃、送られてきた内容証明を誌上で公開するなどした[要出典]
なお、19896月に発生した天安門事件における中国人民解放軍によるデモ隊の虐殺を、「『天安門‘広場内’での虐殺はなかった』それは現在、公式の事実として国際的に政治レベルでも確定している」、また「誤報」や「ウソ」であると全面的に否定している(事件において中国共産党政府は人民軍兵士を含む300人以上が死亡したことを正式に認めているが、広場内での死者ではない)。また、カメラマンの今枝弘一のことを「広場内で虐殺が行われたかのように世間とマスコミを誘導した」と批判し、「むしろ学生側のリーダーたちが政府と学生を煽って虐殺を起こそうとしていた」と、ドキュメンタリー映画『天安門THE GATE OF HEAVENLY PEACE』内で学生リーダーの柴玲が行った証言を「根拠」に主張している[3]
1995 宝島社の子会社・洋泉社に出向。『トンデモ本の世界』をベストセラーにして、と学会を売り出した。また『映画秘宝』シリーズを創刊した。
1996年、第3回みうらじゅん賞受賞。
1996年、『映画秘宝・底抜け超大作』に載った中原昌也の原稿の事実関係の間違いを、老舗の映画雑誌『キネマ旬報』の副編集長が「こんな映画いじめの雑誌はダメだ」と批判した。それに対し、町山はキネ旬編集部に乗り込み、シェービングクリームで作ったパイを副編集長にぶつけた。キネマ旬報は弁護士を通じて洋泉社に抗議文を送り、町山はキネマ旬報に謝罪するとともに依願退職し、妻とともに渡米した。
宝島社・洋泉社勤務時代の「宝島サブカルチャー黄金期」については、『サブカルチャー世界遺産』(ISBN 4594030491)に掲載された本人のインタビューに詳しい。
渡米後 [編集]
アメリカでは英語を学ぶとともに、映画学校にも通う。妻の仕事の関係でカルフォルニア州モントレー、コロラド州ボルダーなどアメリカのあちこちを移り住んだ後、1997年より米国カリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリアに在住(ベイエリア内ではオークランドから2007年にバークレーに転居)。
その後、日本人のあまり知らないアメリカ映画の動向やアメリカの人気テレビ番組、B級文化、政治状況などを、『映画秘宝』『TVブロス』『サイゾー』『週刊現代』など、日本の新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどで紹介している。
2004年、アメリカで、友人の日本映画マニアパトリック・マシアスとの共著『Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyo』を出版(英語)。
また、2004年にマイケル・ムーア監督が制作した、ブッシュ政権のイラク戦争政策を批判するドキュメンタリー作品『華氏911』を、「アメリカで暮らし、税金を払っている者」として支持し、自身のブログやさまざまなメディアで発言。
2005年、日本で配給会社がつかなかった映画『ホテル・ルワンダ』の日本公開を求めてラジオや雑誌で訴え、これに呼応して有志が署名運動を起こし、20061月に日本公開が実現した。同様の経緯で、2008年には『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』が公開された。
また、20086月発売の、雑誌「hon-ninvol.07から、回顧録の連載を始めていたが、中断している。


勝谷誠彦との関係 [編集]


この節の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。議論はノートを参照してください。このタグは20101月に貼り付けられました。
勝谷誠彦とは、ともにTBSラジオ『ストリーム』の「コラムの花道」の出演者という関係であったが、町山が火曜日、勝谷が水曜日のレギュラーなので、共演する機会はなかった。
町山は、2004313日付けのブログにおいて「その奇妙な今枝擁護記事を書いたのはたしか勝谷ナントカとか言う男だった。」とマルコポーロ時代の勝谷を名指しで批判している[5]
2005719日には、「コラムの花道」で別れた父が在日コリアンであることを明かした際、勝谷の批判を突然始めたことがある。その週は、クリスチャン(キリスト教徒)とムスリム(イスラム教徒)が互いの立場を逆転させて生活するテレビ番組を紹介していた。差別の苦しみは差別されなければわからない、なので知識も背景もわかろうともせずに無用な差別はしてはいけない、というのが町山の結び。その結びの際(1720秒)にいきなり「勝谷なんとかという奴」という表現で話にあげ、「彼をそのテレビ番組に出演させて、中国人や韓国人として生活させれば少しは言われる側の気持ちがわかるだろう」という趣旨の発言をした。ただ、翌日(2005720日)の勝谷はこのことについて直接言及することはなく、それ以後も町山自身もこのことについて触れることはなかった。これは、「番組リスナーのためにも交戦してほしくない」という同番組ディレクターの仲介によるものである[6]
なお、20077月の勝谷出演の「コラムの花道」では、勝谷は、パーソナリティの小西克哉が前日に町山と酒席をもったことを気にしているような態度を取り、そのときに「アメリカからいやなヤツが来てるんでしょ?」といった表現で、名指しはしないものの初めて町山に言及した。この日の番組のエンディングで小西は「勝谷さんと町山さんを2人だけで会わせたらどんなことになるか」と発言した。
2007109日に町山が「コラムの花道」で、アメリカの極右で過激な発言で知られる女性コラムニスト(アン・コールター)の話をした際、小西に「日本でいうと誰に例えればいいでしょうね」と問われると、町山は「ストリームに明日出る人」と答えた(ただし、勝谷はアン・コールターと全く同じではないと否定している。また町山は、アン・コールターはニューヨーク・タイムズの社屋を爆破すべきだと言うが、勝谷は朝日新聞を爆破しろとまでは言わないと言っている)。
2008312日の放送で勝谷は、コラムの花道の本が出ることについて、「表紙のオレの名前が町山さんの後ろにある」と、初めて町山の名前を直接挙げた。さらに、コーナーの出演者全員でサイン会をやったらどうかと提案し、その後、客と出演者で飲み会をやって、「オレと町山が殴り合いをする」と言った。
20083月に出版されたコラムの花道の本では、勝谷が町山に言及した回が取り上げられており、その注釈で、約20年前に町山と勝谷に何らかの対立があったらしいと明記されている。
ただ、200841日放送のコラムの花道において番組内で使われる自身のキャッチフレーズに対する不満を述べた際に、「勝谷さんはどうなんですか?」、「時限爆弾(勝谷のキャッチフレーズ)の方がまだいいじゃないですか、エロの伝道師(町山のキャッチフレーズ)よりも」と述べたり、2008422日の放送で「勝谷さんがイラクに行ってフセインが入っていた穴に入って…」と述べるなど、以前とは多少違った形で勝谷誠彦に言及しはじめている。
なお、町山は『宝島30』の編集者だった1992年に、張明秀の朝鮮総連内部告発の連載を担当し、辛光洙(シン・ガンス)の対日工作の詳細や日本人の拉致や北からの工作員上陸に総連が関わっている事実を告発している。この件を当時勝谷が所属していた週刊文春にも取り上げてくれるよう頼んだが、当時は拉致問題に対するメディアの関心は低く、まったく相手にされなかったと自身のブログに書いている(町山は当時は岩波書店に代表される左派論壇をエセ左翼として徹底的に批判していた)[7]
町山本人は2010121日のTwitterにて「wikipediaのオイラの項目に、一度も会ったことすらない勝谷誠彦関連のどうでもいいことが山ほど書き込まれてウザい」と述べている[8]
2010年の『たかじんのそこまで言って委員会』において町山らのコラムを批評するという企画があったとき、勝谷は「町山とは仲が悪いです。TBSラジオの番組でやり合いました」と言った。なお勝谷は「自分がコラムニストなので他人のコラムは評価しない」として、町山を含むすべてのコラムに点数をつけることを拒否した。

その他エピソード [編集] 
週刊現代』の連載を打ち切られた後に同誌に江原啓之の新連載が始まったことに腹を立て、「霊能力があるんだったら、オレを呪い殺してみろ、このデブ!」と江原を罵った[9]
村上隆を嫌っている[10]。村上のアートをアニメ・漫画の模倣、それを高額な値段で販売していると批判している[11]。ツイッターにて“女優はある種の宗教的魅力とも言える胡散臭い男に弱い”という持論を展開した後に、村上の名前を出し「誰が生贄になるといいですかね?」とつぶやいた。それに対し村上から返信があったことで、某アニメ映画にお互いを喩えたやり取りが展開された。これはプロレス的な呟き合戦で終わったが「次はガチでやるよ」と呟きを残した[12]。高城剛、辻仁成、NIGO、三代目魚武濱田成夫などの文化人をも「教祖」と呼んで批判している。辻には「書いた小説をアメリカの射撃場に持っていって、44マグナムやショットガンで撃っている」と語っている。ほかに秋元康にも批判的なコメントをしている。
20116月にはやはりツイッターで『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を「半年後にはゴミになる映画。(制作費を)被災地に義援金として送った方がずっといい」と酷評。メガホンを取った当の田中誠から「私監督ですが、映画を御覧になった上での評でしょうね? 尊敬する町山さんに観もせずにそう言われるのは非常につらい、あ、観てから言われてもつらいですが」と直後にリツイートを受ける。町山は観ておらず謝罪した[13]
唐沢俊一の「新・UFO入門」盗用事件以来、ブログでたびたび唐沢を非難している。また、盗用を事実上黙認していると学会に対しても同様である。と学会初期の「トンデモ本の世界」と「トンデモ本の逆襲」は町山の手による編集で責任を感じているという。ただし、洋泉社に時代にたびたび締め切りを破られたときの恨みがかなりあるためその分を割り引く必要がある。[14]
蓮實重彦について、「1970年代に雑誌『映画芸術』でB級映画を褒めていたころは好きだったが、映画『スカーフェイス』に対する「下品だ」との評を見てはらわたが煮えくりかえった」と語っている。しかし、20098月にはTBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』内で、町山が『文藝春秋』に寄稿したルポタージュを蓮實が誉めた文章が月刊誌『新潮』に掲載されたことに触れ、「蓮實重彦大先生」「映画評論家にとって神のような人」と発言した。即座に水道橋博士に「だいぶ批判していましたよね」と突っ込みを入れられ、「あれは好きだったから」と弁解している。
大寺眞輔に嫌われている。キネマ旬報の連載の打ち合わせの席でパイ投げ事件の顛末を鋭く批判された。自身のツイッター上では映画評論家不要論、サバンナ高橋などの話題に、町山批判を絡ませている他、長期間にわたってブログ上で町山批判や当てこすりを繰り広げた。それに対し珍しく町山は沈黙を貫いている。
マリファナに関して、『松嶋×町山 未公開映画を観るTV[15]』において、マリファナの問題点は、吸うことにより「勉強しなくなる」「仕事しなくなる」「SEXしちゃう」ので反資本主義的で反社会的、「平和な気持ちになっちゃうから戦争に参加したくなくなる」ので反国家的であり政府や社会にとってはものすごく都合が悪いものである、しかしマリファナをこれらの理由で取り締まるのは思想の取り締まりになってしまい憲法上できないので、医学的な理由で取り締まっていることになっている、と発言した。なお、この典拠は不明。
町山にとって最も嫌な映画は「國民の創生」である。その理由として、あまりに人種差別を肯定的に描きすぎているからだという(実際、映画の中ではKKKが正義の味方のように描かれている)。
金泳三政権で外相を務め、現大韓赤十字社総裁の柳宗夏(ユ・ジョンハ)は町山の父の兄の次男で、従兄弟にあたる。
TBSラジオ『小島慶子 キラ☆キラ』内にて、日本の脱原発とサマータイム制度導入を主張した。
「論座」において日本とアメリカにおける徴兵制の復活を主張した。理由として徴兵制度を復活させれば、家族の誰かを軍隊に入れなければならなくなり、戦争が他人事ではなくなるとして逆に戦争を抑止すると主張している。「ハイテク兵器になれば熟練した職業軍人で事足りる」という徴兵反対派の意見に対しては、イラク戦争においてハイテク装備された米軍が、ゲリラ戦で苦境に陥ったを例に出して反論している。
また、民間軍事会社をブラックウォーターUSAによる民間人への無差別発砲事件などを例に上げ「近代国家の軍隊の常識は傭兵を否定すること、民間軍事会社の台頭は傭兵達が暴虐を振るっていた16世紀以前の世界への逆行」として批判している。
『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』♯12:前編で自身が韓国の俳優リュ・シウォン(柳時元)の親戚だと語っている。