2018年4月8日日曜日

友人への手紙 ゴルゴダの丘







 ××さん、今月はイスラエルに行ってきました。

 先月(2018年1月)、あなたとエジプト旅行中にあなたのイスラエル旅行の思い出をお聞きし、参考にさせてもらいながら旅行してきました。確かに砂っぽい土地ばかりなので、ウェットティッシュはとても役に立ちました。
 随分前から、上野の西洋美術館の展覧会を観たときには、毎回ではありませんでしたが、そこの常設展示室も観るようにしてきました。そこに展示されているヤコポ・デル・セッライオのキリスト磔刑画(写真に示します)を観るようになったのがいつからなのか、覚えてはいません。
 ただ、奥さん(私の妻)が死んでからとその前とでは、この絵を見る目が全く変わりました。
 妻と娘を亡くして、その供養のために裕福な男が、セッライオに依頼して描かせて教会に寄進したらしいこの絵。セッライオはあの有名なフィリッポ・リッピの弟子で、彼の作品はウフィツィ美術館にも収められています。
 奥さんが死ぬ前は、この絵の前を何も感じずに、幾千万とあるキリスト磔刑絵画の一つだなと思いながら通り過ぎたものでした。
 奥さんが死んでから、初めて、そう、初めて、この男の気持ちが理解できました。
 あなたにも話したように、heart-plucked-out 状態です。この男性は服を着ているけれども、間違いなく、左胸には直径20センチくらいの穴が、前から背中まで貫通して存在しているでしょう、私もそんな状態でした。ましてこの男性、私と全く同じようなハゲなのですから、私が容易に感情移入できるのも当然でしょう。まるで自分を見ているようです。
 キリスト磔刑の下に、妻と娘の遺骸が横たわっている。そのそばにある髑髏は、このゴルゴダの丘にアダムの遺骨が埋められているという言い伝えからしばしば描かれているものです。イブの誘いに乗って知恵の実を食べ、神から死を与えられるようになったという人類。死の苦悩を持ち込んだのはイブ(女性)であるというユダヤ教の教えには、あなたたち女性は抗議することでしょうけれども。
 その死を(原罪を)乗り越えるためにキリストは磔にされた、というのがキリスト教の教えです。キリストを信じることで復活が約束される。その復活を願っての(確信しての)絵が、西洋美術館にあるこの絵です。
 ところで私はキリスト教徒でもなければ、仏教徒でもない、何の信仰も持たない、神も来世も霊魂の存在も信じないただの医者です。時間を流れてゆき、やがて死ぬでしょう。ただ死ぬまでの残された時間を、旅をしたり本を読んだりして、唯一無二のこの世界を眺めてみたいと思っている・願っているだけの存在です。


 ゴルゴダの丘で2000年前に処刑されたキリストの体重が60キロだったとします。
 人間の体の60パーセントが水だとすると、36キロの水がキリストの身体の中にあった、処刑されたその時に。その後その<水>はどうなったでしょうか?
 3.6×10の4乗グラムの水には、1.2×10の27乗個の<水分子>が含まれています。
 この地球上には10の47乗個の水分子が存在していると推定されています。
 今、任意に1グラムの水を取り出します。1グラムの水には、3.3×10の22乗の水分子が含まれています。この1グラムの中に、ゴルゴダの丘で処刑されたその時のキリストの身体の中にあった水分子は幾つ含まれているのか、は、次の式で計算できます。
3.3×10の22乗×1.2×10の27乗÷10の47乗
 答えは、約400です。つまり、均質に水が混ざっているとすれば(2000年も前の出来事ですからかなり均質に混ざっているでしょうが)、地球上の任意の水1グラムを取れば、その水の中にはゴルゴダの丘で処刑されたキリストのその時の身体の中にあった水分子が400個、含まれている、という計算になります。
 で、たとえば、あなたの体重が40キロだったとします。するとあなたの身体の中には、
2.4×10の4乗グラムの水があることになります。つまり、ゴルゴダの丘で処刑されたキリストの身体の中にあった水分子のうちの、10の7乗個もの分子が(1000万!)存在していることになります。私の体重は約80キロですから、
<2000万個のキリスト磔刑時由来の水分子>
 を持っていることになります。
 私の奥さんが亡くなったときは、体重は30キロぐらいになっていたと思います。癌の末期で痩せ細っていましたから。彼女が亡くなった時に彼女の身体の中に含まれていた水分子がこの世界の中に完全に溶けてしまって....今、私の身体の中には1000万個くらいの彼女由来の水分子があるのでしょう、キリストのちょうど半分です。
 水と同じように、あらゆる<物質>が流転してゆきます。そして命とは、その物質によって生み出された束の間の営みです。命が消えれば、その先には何もありません。霊魂も来世も神も夢です。
 ただ、この夢を見る絵の中の<ハゲ頭のイタリアの男>の気持ちは理解できます。いや、霊魂や来世や神を夢見る人間の気持ちは理解できます。ただ私にはそこに入ってゆく気がないだけのことです。
 神や来世を信じないからこそ、今日を生きていることが貴重に思えます。生きていることを真に噛みしめて生きてゆけます。

 雲は水でできています。
 これまでこの地上に生きた人間、だけではなく、あらゆる生命に含まれていた水が、雲となって空を漂います。キリストの水も奥さんの水も、戦争で死んだり病気で死んだり天寿をまっとうした人の水も、全ての雲に含まれています。
 だから、空を流れてゆく雲を見ると、やがて自分も死ぬんだ、死んであの雲になるんだ、そして雲になるまでの残された時間を、自分なりに有意義に生きてみよう、と思います。
 あなたやその他の旅の仲間と、あのギザの3つのピラミッドを望むレストランで昼食を取ったときに、雲を眺めながら私はそんなことを考えていました。

 長ったらしいメールになりました。続きはまたいつか書きます。では、また。